[イベント.12-7.東京] 難民・移民に生きる権利を!仮放免者に在留資格を!

12月 2, 2011
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12.7「仮放免者に在留資格を!」デモのおしらせ(法務省入管への要求) わたしたち 難民(なんみん)・移民(いみん)は 入管(にゅうかん)による 長期収容(ちょうきしゅうよう)によって 心身(しんしん)共(とも)に ボロボロに なり、やっとのことで 仮放免許可(かりほうめんきょか)を 受(う)けました。 しかし、いつまた 収容(しゅうよう)される かも しれません。それに、仮放免(かりほうめん)に なっても 働(はたら)くことは 認(みと)められて いません。仕事(しごと)を しないで どうやって生(い)きて いけば 良(よ)いのでしょうか。

クィア研究者、アーティスト、活動家の皆さんへの公開書簡

2月 24, 2011
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クィアのみなさん、研究者・アーティスト・活動家のみなさんへ 皆さんの中にはイスラエルで行われるクィア系イベントや文化的あるいは学術的な催しに参加する予定をお持ちの方、更にはそれらの催しを支持しているかたもいるかもしれません。宗教的な理由や個人的な都合で、あるいは純粋な好奇心からイスラエルに訪問する予定がある方もいらっしゃるかもしれません。イスラエルに招かれることは心躍るすてきなことに感じられるかもしれませんが、皆さんが立場を決めて飛行機の予約をする前に、以下の公開書簡を読んでくださることを切に願います。この書簡はパレスチナ人のクィアたち、活動家たち、研究者たち、そしてアーティストたちからの、世界中のクィアたち、活動家たち、研究者たち、そしてアーティストへと差し出された公開書簡です。

カテゴリー:クィア, 人種・民族

ヘテロセクシストのいる教室

1月 30, 2011
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 文学研究をするときにポジショナリティを問われる研究者と問われない研究者がいる。ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者は、大抵、どのような立場から論じているのかと問われるが、普遍的で、偏りがなく、常識的で、中立であると標榜している「普通の研究者」(正確に名づければ、ヘテロセクシストな研究者)にたいして、どのような場所から研究しているのかという問いが発せられることは少ない。今回、私は、ヘテロセクシズムという枠組みでものごとを捉える研究者を、正確に、ヘテロセクシストと名づけて、「ヘテロセクシストがいる教室」について考えてみようと思う。

カテゴリー:クィア

ドイツの団体によるジュディス・バトラーのインタビュー(和訳)

7月 12, 2010
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1956年オハイオ州クレヴァランドに生まれたジュディス・バトラー。彼女を知らない人などいるだろうか。『ジェンダー・トラブル』の出版以来彼女は、彼女の理論、とりわけジェンダーのパフォーマティヴィティの理論によって国際的に知れ渡った。フェミニズム、クィア理論及び政治哲学という、その内部で彼女自身が熱心な活動家かつブッシュ政権下のアメリカの戦争政治の批判者であるような分野に、彼女の研究は貢献している。特にドイツにおいては、ジェンダーに関わるバトラーの理論を受け入れることは非常に物議を醸し出し、フェミニズムにおいて活発な議論を引き起こした。彼女の最近の研究は、人種主義や侵略に反対し平等を求めること、ユダヤ哲学、そして国家暴力の批判を主にしている。ベルリンパレード (Berlin CSD) のあとすぐにベルリンを発ってしまったので我々は直接バトラーと話をすることが出来なかったが、バトラーが私たちのEメールにおける質問——人種主義とベルリンパレード、最近の彼女の政治的発言、近代フェミニズムが直面する問題、そしてユダヤ系の出自がどのような重要性を持っているのかについて——に回答する時間をかけてくれたことを喜んでいる。

ベルリンパレードでジュディス・バトラーが受賞拒否 [2010] (日本語字幕、訳付き)

6月 23, 2010
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英語版 元記事 Butler, Judith. “I must distance myself from this complicity with racism, including anti-Muslim racism.” ‘Civil Courage Prize’ Refusal Speech. Christopher Street Day. June 19, 2010. Judith Butler – I must distance myself from this complicity with racism When I consider what it means today, to accept such an award, then I believe, that… [続きを読む…]

カテゴリー:クィア, 人種・民族

内部批判の意義

5月 18, 2010
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Twitter 上で松浦大悟さんと数日間やりとりさせて頂いている中で、尾辻かな子事務所閉鎖イベントにおける伏見憲明さんのスピーチの原稿を紹介していただいた。他のユーザーにも言及され、参照されている文章なので、ある一定方向の主張をするときには「まずこれを読んどけ」的な、 the Book 的な位置づけなのかもしれない。更に、彼の文章を紹介するブログ記事も見つけることができた。ボク自身は伏見さんの言いたいことも分かるし、それが(広い意味での)政治的な文脈で何らかの重要性を持つ/持っていたことも分かる。分かるのだけれども、同時に、表舞台に立って人々の支持を得ようとする際の問題を、ある部分においては明確にしつつ、しかしまたある部分においては隠蔽してしまう効果を持っているような気がして、特にその後者の部分に光を当てたいと思ってこの文章を書いているところ。

カテゴリー:クィア

5/15 屋外オカマバー『バーおっかまん』月1で開催 in 群馬!

5月 2, 2010
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わたくしの母が主催者なのですが、来る5月15日(土)の夜6時から屋外オカマバーをOPENします。これはわたしたちの住む群馬県館林市の月1のイベント「下町夜市」への出店ということで、他にもいろんなお店が出ていて賑やかな感じになることが予想されます。

カテゴリー:告知/ニュース

ひろこさんには借りがある

4月 30, 2010
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『ハートをつなごう』というNHKの番組シリーズで昨日放送されたのは、障害をもつこととLGBTであることの両方がどのように重なるのかについてだった。それを見て、まず感想として持ったのは、「差異を認め、それを祝福することに、どうしてそんなに『幸福』が重要になってるんだろうか」というものだった。ひろこさんはVTRにも登場し、スタジオでメインゲストとしてインタビューを受けた、脳性麻痺を持つトランスジェンダー女性だ。彼女は番組中頻繁に「幸せそう」とか「かわいい人」と言われ続け、「やりたいことをやってる」強い心を持った人のような扱いばかりを受けた。でももし彼女が憂鬱な人だったら? 実際彼女が憂鬱な日々を送っていたことは、番組からも明らかだ。

カテゴリー:クィア, 障害

「わたしには言葉しかない」場合——告発と検閲

4月 28, 2010
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言葉を持つこと、すなわちある程度の語彙と論理性に関する能力の訓練が可能な機会に恵まれた人生を一定期間過ごしたことがあるということは、やっぱり権力性を帯びないわけがない。そんなことは当たり前で、だからもちろん言葉を持つことというのは、特にその言葉が歴史的・社会的に権力を持っている/持って来たような文化のものであるとき、暴力的になり得るし、その取り扱いには注意しなければならない。しかもそれは西洋中心的な学問の言語であったり、あるいは啓蒙主義的で道徳的な語彙や定義であったり、色んな形態を取る。

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