ヘテロセクシストのいる教室

 文学研究をするときにポジショナリティを問われる研究者と問われない研究者がいる。ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者は、大抵、どのような立場から論じているのかと問われるが、普遍的で、偏りがなく、常識的で、中立であると標榜している「普通の研究者」(正確に名づければ、ヘテロセクシストな研究者)にたいして、どのような場所から研究しているのかという問いが発せられることは少ない。今回、私は、ヘテロセクシズムという枠組みでものごとを捉える研究者を、正確に、ヘテロセクシストと名づけて、「ヘテロセクシストがいる教室」について考えてみようと思う。

 ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者は、多くの場合、ヘテロセクシストがいる教室の特定の椅子に座ることから学問を開始する。「ヘテロセクシストがいる教室」において、その構成員の、ジェンダーやセクシュアリティのバランスについては興味があるところではあるが、ここでは、ヘテロセクシストな研究者が、どのようにしてヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者の言葉を無化するかについて述べたい。

 ヘテロセクシストとは、「異性愛という特定の生活様式を規範としてみなし、社会的、経済的な特権を認めるような立場に立つ人*1」と広く定義できるかと思う。「ヘテロセクシストがいる教室」では、「生殖が人類の基本的な仕事だ」という考えがまかり通っていたり、「女性差別主義」を標榜する研究者の言葉が違和感なく響いていたり、異性愛を標準的なセクシュアリティだと主張し、異性愛者というアイデンティティが自然で自明なものであると疑わないように議論が組み立てられ、時折、女性やセクシュアルマイノリティがトークンマイノリティの研究者(女性やセクシュアルマイノリティを代表して話す許可証を与えられた研究者)として徴用される。私は、そのような教室のことをさして「ヘテロセクシストがいる教室」と呼ぶ。

 「ヘテロセクシストがいる教室」において、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとしたり、異性愛という規範から「逸脱」した「性、身体、欲望のあり方」について議論しようとする研究者は、抹消されるか、置き去りにされるか、攻撃されるか、特色づけられて、時には保護されたり、珍しがられたり、愛でられたり、「わたしたちとは違う人々がいるのだ」というふうに「別世界」の話として意味づけられ、「ここにもちゃんとそういう研究者がいますよ」という意味で、許可証を与えられた存在として扱われる*2。トークンマイノリティの研究者は、時には、「多様性のひとつ」として歓迎されることすらあるが、「ヘテロセクシストがいる教室」において、ヘテロセクシストな研究者が自明視している枠組みを問うた場合、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者は、議論を遅らせる厄介者のように扱われるか、「ジェンダーやセクシュアリティについては詳しくないので」という、無知を装う戦略によって、無効な問いを発した張本人のように扱われる*3。しかし、「ジェンダー、セクシュアリティについては詳しくないので」という「度しがたいまでの無知*4」の表明には、「知らなくてもいいという権力」と「知らないでいることの特権」が潜んでいるということは、明記しておいてよいと思う*5。「ジェンダーとセクシュアリティについては詳しくないので」という弁明には、「だってわたしは別に知らなくてもいいから」という「度しがたいまでの無知」が潜んでいることが多い。

しかし、「度しがたいまでの無知」だけではなく、「度しがたいまでの有知*6」もまた、「ヘテロセクシストがいる教室」における大きな問題のひとつであると思う。

ヘテロセクシズムへの批判的な介入をしようとする研究者にたいしてヘテロセクシストな研究者がいう決まり文句に、「ジェンダー/セクシュアリティという視点はすでに新しくない」、「ジェンダー/セクシュアリティという視点をとりいれないで行われている研究などもはやない」という物言いがある。その言葉は、「だってわたしはもう十分に知っているから、知らなくてもいい」という「度しがたいまでの有知(実際には無知の変奏)」によって支えられているように思う。けれども、本当に、ジェンダー/セクシュアリティという視点は新しくないといってしまえるのだろうか? あるいは、すでに達成された何かがあるのだろうか? ジェンダーという言葉を手放せない研究者が存在する限り、ジェンダー/セクシュアリティという視点が目新しくない、あるいはその概念によって「おもしろい読み」を提出できないという指摘は、的外れを通り越して、恥知らずだと思うのだが、「だってわたしはもう十分に知っているから、知らなくてもいい」という、「知らなくてもいいという権力」と「知らないでいることの特権」の変奏は往々にして、「ヘテロセクシストがいる教室」においてはまかり通る。

 多くの場合、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者は、ヘテロセクシストがいる教室に座ることから研究を開始する。そうして、「度しがたいまでの無知」と「度しがたいまでの有知」が交叉する渦中で研究をはじめることになる。しかし、ひとつつけ加えておくべきことは、ヘテロセクシズムに対して批判的な介入を行おうとする研究者自身もまた、「度しがたいまでの無知」と「度しがたいまでの有知」がせめぎあう中で、「だってわたしはもう十分に知っているから、知らなくてもいい」と思い込んでいることがあるということだ。知っていると思い込んでいたことを実際には知らなかったり、知っているはずだと思い込んでいることを実際には共有できていなかったりということは、十分にありうる。その際に、「わたしは十分に知らないから、知りたい」と明言することは、「ヘテロセクシストがいる教室」でのひとつの重要な立場表明となりうるだろう。だから、わたしは、はっきりと、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとしているということを示すし、あなたのことをヘテロセクシストだと名づけて(あたし結構怖いことをしてる)議論をはじめる。

(注)
*1:ジェイン・ピルチャー・イメルダ・ウィラハン著『ジェンダー・スタディーズ』片山亜紀訳者代表、新曜社、83。「ヘテロセクシズム」についてさらに詳しく知りたい方は、竹村和子「〔ヘテロ〕セクシズムの系譜」『愛について』、2002、岩波書店と、「「資本主義社会はもはや異性愛主義を必要としていない」のか」上野千鶴子編『構築主義とは何か』、2001、勁草書房を参照。

*2:ヘテロセクシストな研究者は、ジェンダーやセクシュアリティの話になると、急に女性やセクシュアルマイノリティに話をふることが多い。男性を補うために女性に語らせ、異性愛を補強するためにセクシュアルマイノリティの存在を際だたせようとする戦略をとるようだ。しかし、その場合、「性の多様性」という言葉で、教室にいる、女性やセクシュアルマイノリティの研究者の存在が、ヘテロセクシストな研究者の「ものの見え方」の中で、見たいようにな可視化されるという事態が生じることがある。特に、ヘテロセクシストな研究者が、女性やセクシュアルマイノリティの歴史について一通り知っており、フェミニズムやクィア理論の概念や理念について知悉しているときに起こりがちなのは、目の前のひとりの研究者の存在はかえりみられず、ここにもちゃんと女性の研究者がおり、セクシュアルマイノリティの研究者もいますよというように「戯画化」されるという事態だ。そこにいるだけで、あとは喋らないか、望むべき女性、望むべきセクシュアルマイノリティとして話すはずだったトークンマイノリティの研究者が、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとしたり、異性愛の規範を侵犯するかもしれないとみなされたりする場合、「性の多様性」なんてあったかしらというような勢いで、主要な議論から逸脱している厄介者という烙印が押される。

*3:ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者が感じる困難のひとつに、「ジェンダーとは何か」、「セクシュアリティとは何か」という前提について話していると、いつのまにか持ち時間が終わっており、主要な議論を押しとどめようとする厄介な人という評価が下されているということがあるのではないかと思う。ジェンダーやセクシュアリティについての定義や歴史的な経緯などについて十分に話す訓練を積み、実際に議論の場数を踏んでいる研究者であったとしても、知らないでいたいヘテロセクシストな研究者が聞く耳を持たなかったり、「わたしはもう十分に知っている」という「度しがたいまでの有知」を示した場合、どれだけ話しても聞かれないという事態が生じる。「度しがたいまでの無知」は、たやすく、「もう十分に知っているから知らなくてもよい」という「度しがたいまでの有知」と共謀して、それ以上、話すなと、ヘテロセクシズムに批判的に介入しようとする研究者の言葉を無化する。

*4:この言葉自体は、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』、2000、青土社、132。

*5:イヴ・コゾフスキー・セジウィック『クローゼットの認識論』外岡尚美訳、1999、青土社、15,16。セジウィックは、「無知の複数化・特定化」の必要性についても述べている。

*6:この言葉自体は、宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』、2007、みすず書房、144。

(地下室のアーカイブスより転載http://d.hatena.ne.jp/ari1980/20101108)

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